◆++広汎性発達障害の子++母と子の折り紙三昧の日々◆

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9年と4ヶ月前
予定よりもちょうど4週間早く生まれた優夢。

嘘のように小さな手。
(あまりにもあまりにも小さくて、壊れそうで
怖くてついにしっかりと握ることもできなくて)
そっとそっと、小さな手のひらに、私は自分の
人差し指の先端だけ、ほんの少し触れて、手を
引いた。

自分の産んだ我が子なのに、指先が震えるほど
ドキドキして。

大切でもったいなくて。

そして、とうとう何ヶ月も、手をぎゅっと握る
ことができなくて、いつもいつもそっと触れた。
息も止めて。

それから、何年も、眠らない夜を過ごし、座った
姿勢のまま、息子を抱いて朝まで過ごした。
何時間も何時間も息子を抱き続け、毎日数時間
子守唄も歌い続けた5年間。

ガラスに触れるように、素手で触ったら壊れるかの
ような想いで、本当に心から慈しみ、数億円もの
宝石よりも価値のある大切な大切な宝のように
育てた私の一人息子


その子が、まさか重い自閉症の症状ですと
告げられるなんて。

ことばも話さないと、医師から何度も繰り返し
断言されるなんて。

そして、実際、私の存在にすら気がつかず、3歳に
なっても4歳になっても、夜も眠ることがなく、
私を母親と認識してくれることもなかった・・・
5歳になってもオムツもつけたまま、会話も満足に
できない。
あの地獄のような日々。

----*----*----*----*

その息子は今、

私が制止しなければ、軽く30分はおしゃべりが
止まらないような状態で、それはそれで、新たな
贅沢な悩みとなり、

そして、

『ぼくの手は、おかあさんと おなじ大きさ!』

と嬉しそうに私の手に、自分の手を重ね合わせるほど
大きくなりました。

成人女性としては、手が小さい私ですから、本当に
ほとんど同じくらいの大きさ!

あの、壊れそうだった、ちいさな、ちいさな手は
もう ありません。

そして、この手は、もっともっと大きくなり、

すぐに私の手を包み込んでも余るほどに大きくなって

チクチクとした毛も生えた、大男になるのでしょう。

時間(とき)は、少しずつ、人を癒し、育て、成長
させる、魔法のようです。
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テーマ:自閉症児の親 - ジャンル:福祉・ボランティア

音の感覚は右脳に送られるということですので、
視覚イメージ優位の自閉症の子供たちは、当然の
ように、音楽は右脳で聴いているのだと思われます
が・・・

優夢の場合、特に私とは異なった聴き方をしていると
気がついたのは、優夢が小学校に入る前ころだった
でしょうか。

━・━・━・━・━・━・━・

言葉を話す、ずっと以前の2歳になったばかりの頃。

すでに100曲の童謡のメロディーを「鼻歌」で歌い、
一度聞けば、ほぼ正確に音を再現できました。

面白いことに、童謡だけではなく、サイレンの音、
踏み切りの警報機の音、タイマーの音、なんでも
その音を正確な高さで声に出していました。
言葉らしき音はひとつも出しませんから、アーと
ウーで世の中の音を表現します。

「絶対音感」があるに違いないと思ったのもその頃。

ちなみに私はピアノも弾けず、楽譜も読めない状態で
音楽とは無縁。
そんな環境での優夢の能力は、信じられないような
驚きに満ちていました。

━・━・━・━・━・━・━・

最近になって、優夢の音楽を聴く耳は、私とは
明らかに違うことに気がつきます。

私は日本の歌を聞くとき、「歌詞」に注意が向き、
主に歌詞を聴きながら、メロディーを覚えるのです。

ところが、優夢はそうではありません。

まず、前奏を聴き、伴奏のリズムを覚え、歌詞には
ほとんど注意を払わず、かなり曖昧に聞こえている
ようです。メロディーはあまり聴いていないのです。
ですから完全に歌うことがなかなかできません。

けれども、ピアノがあればそれを楽譜も知らずに
メロディーは自己流に弾きますし、伴奏は正確に
鼻歌で表現できます。

生まれて初めて聞く曲でも、いきなりある程度は歌う
ことさえできるのです。

━・━・━・━・━・━・━・

脳の中での優先順位は明らかに、私とは異なっている
優夢のとらえかた。
7歳(小学校特殊学級2年生)の頃には、自閉症で
あるということを告知し、脳に先天性の障害がある
ということを伝えました。

そのときには、「普通の子とは違う」ことにとても
ショックを受けた様子だった息子。

━・━・━・━・━・━・━・

一年が過ぎ、最近は「自閉症」と「アスペルガー
症候群」についての本を、図書館へ行くと必ず
探します。

私が伝える以外に、外部からの情報をずいぶん捉え、
吸収しようと努め、耳を傾けているのでしょう。

『ぼくは、のうに しょうがいがあるからダメだ』と
言っていた優夢は、『高機能自閉症のほんが欲しい』
『アスペルガー症候群の本を借りたい』と図書館で
探します。

どこで、誰に聞いたのでしょう。

自分に関係がある障害であると認識したのでしょう、
探しますがなかなか見つかりません。

もちろん私の手元には多くの関連図書がありますが、
本人が自力で探したいと思っているのですから、
むやみに出して与えることはしたくありません。

━・━・━・━・━・━・━・

優夢の障害を正式に診断された2000年。
あの頃は、自閉症と検索をしても、HPも本も数えることが
できるほどの数でごくわずか。
本は書店ではほとんど見かけることさえありませんでした。

私は、情報が欲しくて、診断が告げられた一週間後に
慣れないパソコンで、独学で、いきなりホームページを
開設し、同じようなお子さんを持つお母さんたちとの
交流をはじめました。

まさに、藁をもすがる気持ち。
情報の少なさに不安が募り、母子二人で今にも崩壊しそう
になりながら、日々を過ごしました。

━・━・━・━・━・━・━・

泣き叫ぶだけではなく何か話してほしい。
おかあさんと呼んでほしい。
私を見てほしい。
障害があるなんて、嘘であってほしい。
明日になれば、夢から覚めて、間違いでしたと
言ってほしい。
笑ってほしい。微笑んでほしい。
明日、目が覚めたら、突然普通の子になって
おしゃべりをしてほしい。
まっすぐ歩いてほしい。
手をつないでほしい。
ほんの少し触れただけで死ぬほど泣くのはやめて
ほしい。
エレベーターのボタンを2時間も押し続けるのは
やめてほしい。
おなじビデオをくりかえし、くりかえしくりかえし
毎日毎日再生するのを、頭を打ちつけながら要求
するのはやめてほしい。

要求が満たされなければ、2歳や3歳の子供とは
思えないような力で、テレビもタンスも破壊しました。
(パニックと呼ばれる状態は、野生の猛獣を思わせる
ほど激しく、尋常ではなく、怪我をいちどもせずに
ここまで成長したことは、私が神経をすり減らし、
細心の注意を払い、ついには眠ることができなくなる
まで我が子を監視しつづけた結果だと思っています。)

何日もほとんど眠らず、ハイテンションで活動し続ける
信じられないようなパワーも脅威でした。
「多動」という障害もあり、人の流れに邪魔されて
たった2秒視界をさえぎられたために姿を見失い、
そのままいなくなってしまったことも。
通りに出て、車に轢かれたのではないか、誰かに連れて
行かれたのではないかと、青くなって探します。
私がいないことにさえ気がつかず、一人でエレベーター
に乗り込んでしまい、そのため神隠しのように私の
前から消えたように思えたのでした。

なにも話さない、しゃべらないのに、突然泣き喚き
暴れ、噛み付き、硬いアスファルトの地面に、額
から血が出るまで頭を打ち付ける息子。
これが夢で、明日になれば、普通の現実にもどって
ほしい。
毎日毎日同じものだけ、豆腐、牛乳、ミニトマト。
ごはん。
どんなに手をかけて、趣味の料理を手塩にかけて
披露しても口にしない。投げ捨てる。
何年も、普通の料理は食べず、口にするのは単品の
食材だけ。考えられないほどの偏食。
子供が好きなはずのハンバーグ、カレー、シチュー、
オムレツ、ピラフ、ハンバーガー、ピザ、チャーハン
は今でも嫌い。
すべてのメニューはキッチン鋏で一口大に切り
わけ、混ざっている食材は単品に分け、かかって
いるソースもケチャップもドレッシングもマヨネーズ
も拭い取ってから、スプーンで口に運び食べさせる。

全面介助。
小学校(特殊学級)入学後にもはいていた、特大
サイズのパンツ型「オムツ」。

ご存知でしょうか、普通ではないサイズの大きな
おむつは、赤ちゃんのおむつのようには簡単には
手に入らず、値段も驚くほど高価でした。
もったいない、そして、大きな体の息子の両足を
なんとか赤ちゃんのようにもちあげて替えるオムツ。
その情けなさと後始末の大変さに、体力も気力も
限界になり、毎回涙がこぼれます。
(普通の赤ちゃんだったら、2歳か3歳まで?
でも、私は5歳になっても6歳になっても・・・
もしかしたら、一生こんなことをしているのだ
ろうか)

━・━・━・━・━・━・━・

現在、食事は自力で、セロリとチャーハン、
ブロッコリー以外ならなんでも食べるようになり、
オムツもめでたくとれています。

けれども、このように大きくなるまで、小学校に
はいる年齢を超えてまでも、オムツを必要とする
子供に、知的障害がないと診断した児童相談所契約の
医師たち。
役所の職員たち。
私は、その判断には、どうしても満足できていません。
某ブログで「自閉症児は褒められることの少ない子」
であるという先生のコメントを拝見しました。

私も思い起こせばもう4年半前、優夢の診断のために
お会いした数人の先生から同じ言葉を聞きました。

本人には悪気も悪意もないのに、しばしば不適切な
行動を注意されることの連続。

多動なので絶えずじっとすることができずにうろうろ
します。ことばの認知力が弱いため、人の言っている
ことが理解できません。パニックと呼ばれる突然の
癇癪があります。こだわりと呼ばれる障害のために
周囲を困惑させることもしばしば。
わがままとしか見えないような行動も、お友達との
たびたびのトラブルも、もし障害がなければ起こさず
に済んだことも多かったことでしょう。

わざとではない、障害があるからこそなのだと頭の
中ではわかっているのに、ついつい口から出る言葉は
叱る言葉ばかり・・・

生まれたときからずっと接している私でさえこうです。
学校の先生からも学童クラブでも毎日毎日怒られて
いる優夢の人生は、障害がなく普通に生まれていたら
と想定する何倍もの怒りの言葉に満ちているので
しょうか。

そう考えると、とても辛くなります・・・

テーマ:自閉症児の親 - ジャンル:福祉・ボランティア

自閉症児は幼い頃は特に人の顔をめったに見ません。
目を合わせないことで障害に気がつくケースも多く
あります。

優夢は一ヶ月早い早産でしたが、誕生の直後から
視線は宙をさまようばかりで、私の目を見ることは
ありませんでした・・・

呼びかけても語りかけても、私の方を振り向くことも
なく、横を向くか背中を向けたまま、要求があるときは
私の指をまるで「物体」のように掴んで取って欲しい物、
やって欲しいことを無言で要求しました。

※※※※※※※※※※
優夢に振り向いて欲しくて、私の声はどんどん大きく
なり、優夢の顔を両手ではさんで無理やり自分の方を
向かせようとしました。

そんなときの優夢は、できるだけ素早く目をそらし、
「絶対に」母親の顔を見ないと決めているようでした。

やがて「努力」してなんとか顔の方向を見ることが
できるようになっても、優夢の視線の先は私の目では
なく、鼻先やおでこです。

赤ちゃんや小さい子どもは、「例外なく」必ず大人の
顔をじっと見つめるものだと思っていたのに、優夢は
まったく違いました。

※※※※※※※※※※
今でも、人の顔を見ることはとても苦手な優夢です。
私の前に立っていても、顔は横を向いたまま。
それでもジュースが飲みたい、DVDを見たい、
そんなときだけは私の目を覗き込んで異常に接近し
ておねだりです。

よく顔を見ないので、私が横に立っていてもお母さん
はどこに行ったと大声で呼びます。
スーパーでは、真横にいるのに『いなくなったと
思った』と怒って叩いてきます。
そのくせ、綺麗なお姉さんを見かけると、突然
社交的になって自己紹介から自慢話までします。
住所氏名電話番号を大声で言い、相手の年齢を聞いて
しまうので、とても困ります。

私の写真を見せても、これはお母さんなのかと自信が
なさそうで、本当に不思議・・・
汗を見て、『泣いているの?』と聞き、涙を見て
『汗だね。』
怒っているのに、『笑ってる?』
表情と感情がまるで結びついていません。

せっかく目をじっと見つめていると思ったら、私の
目の中に反射する光を見ていました。

優夢の目には、私は一体どんな姿で映っているので
しょう。
1年ぶりに優夢が折り紙を再開してくれたことが嬉しく
て毎日すっかり折り紙に現を抜かしている私ですが、
以前は優夢が作品を作るようになるとはまったく考えても
みませんでした。それどころか、絵を描くことでさえも
想像がつかない状態だったのです・・・

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

2002年4月12日(4歳6ヵ月)のことでした。
指先の感覚過敏のために、クレヨンなどを持つことが
できなかった優夢でしたが、この日突然おじいちゃんの
家でペンを持つと、生まれて始めての「お絵かき」をして
くれました。
(画用紙がなかったので、広告の裏側です)

この記念すべき日の作品は全部で14枚。

最初は線もたどたどしい感じでしたが、クレヨンも使う
ようになり、みるみる上達していきます。

2003年1月1日。折り紙と出合った優夢は、夢中で
はじめての作品を作ってくれました。(2002年12月/5歳)

2003年3月には、治療中だった歯医者さんでの様子を
描きました。
優夢にとっては自分の周囲のことを描くということは
とても珍しいことでこのような作例は他にありません。

2003年4月の作品では、カレンダーの絵を見た「模倣
」が始めてできます。
5月の作品の中には立体的な折り紙の作品も登場しました

(本家サイトのギャラリーorigamiより引用)

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

3歳から通園センターでの療育を受けるようになってから
も、優夢はクレヨンを嫌がり絵を描こうとはしません。
糊が手につくと大騒ぎし、小麦粘土を見ると教室の隅に
逃げていました。
折り紙はくしゃくしゃに丸めるか、ビリビリ破くだけで
ひと箱分のゴミくずの山になります。

私も特に期待もしていなかったため、優夢に作品つくりや
お絵かきを教えたり強要したことはありませんでした。

「どうやったら、優夢くんのように文字を覚えて書くことが
できますか?」
「折り紙はどうやって教えましたか?」

そのような質問をときどき戴きます。
申し訳ないことに、私は文字も計算も、折り紙も何も
教えることはできませんでした。
優夢はただ、興味をもち、自分から独りでに覚えたの
です。

興味のないことには一切聞く耳も見る目もない優夢に
何かを教えることは今でもひどく困難です。

私がしたことと言えば、ただ、できるだけたくさんの
チャンスを優夢に与え、無駄でも興味がなくても諦めずに
良いと思うものを優夢のために用意したことでしょうか。

優夢の最初の折り紙への熱中は2003年1月1日から翌年
7月(6歳)まで続きます。
多いときには一日5時間もひたすら鼻歌を歌いながら
楽しそうに折り続け、毎日50点以上もの作品を作った
時期もありました。折り紙がないとパニックを起こす
ため、当時は毎日目に付くと折り紙を購入していたよ
うな気がします。

興味の対象が「自分だけの世界」から「お友達」へ
と移り変わったのが、折り紙を止めた時期と重なります。
その後一年間は、どんなに誘っても頼んでも、嫌がって
折り紙に触れようともしません。

再開したのは、「母親(pandora)を喜ばせて笑って
もらいたい」という気持ちが優夢に強く芽生えたから
です。自分だけの楽しみだった折り紙は、一年後に
私への贈り物という形で戻ってきてくれました。
作品の数は一日1,2点に激減してしまいましたが、
心をこめて私のために作ってくれます。
自分が作ってみることなど興味もなかった私も、優夢
に見せたくて(といいますか、自慢したくて)折り紙
に手を染めました。(笑)

周りの人のことなど眼中になかった優夢が、私に認め
てもらいたい、褒めてもらいたい
と思うようになった
ことはこの一年の大きな成長です。
優夢は毎年梅雨から初秋まで、食事をほとんど取らずに
過ごすようになります。
これはまだ乳飲み子だった1歳の頃を除き、ずっと毎年
訪れます。
口にするのは牛乳とミニトマト、きゅうり、豆腐。
あとはたまにおにぎりかバナナ。

偏食がひどく、年間を通して食べるものもこれのみ
だった時期もありました。

それでも優夢はどんどん大きくなり、生まれた時には
2,530グラムだったのに、生後3ヶ月ですでに標準を
上回ってからはずっとその調子で大きくなります。
牛乳は毎日2リットルも飲みました。
「水」も「お茶」も一切、一滴も口にしなかった優夢に
水分を補給するためには、仕方のないことだと考え
ていました。
りんごやぶどうを手で絞って、ジュースにしても
その量はわずかで、優夢の欲しがる量には及びません。
(ミキサーにかけたものは飲みませんでした)

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

小学校へ入学し、給食を通常学級で食べるようになる
頃から(一年生の2学期頃)偏食は少しずつなくなり
ます。一年生の夏から学童クラブでおやつを食べる
ようになってからは、それまで口にしたこともなかった
お菓子類も食べることができるようになりました。
(↑これはあまり有り難くなかったような気もします)

ゼリーやプリンなどのぷるぷるしたものを見ると
こわがって逃げ回り、チョコレートを汚いと恐ろ
しげに避け、飴もベタベタするのでダメだった優夢が
食べたものを日記につけるようになって、驚きの連続。

今では逆に食事はしなくてもお菓子が魅力的な様子で
すが、我が家には菓子類はありません。
毎日何年も同じものを食べ続けても飽きない優夢には
常時お菓子のある環境は危険です。

食欲がなくても、お腹が空いたらまず「おにぎり」
それでも足りなければりんごかバナナ。
喉が渇けば、学校に入る少し前から飲めるように
なった「水」

欲しがってもできるだけジュースは避けます。
もし購入するときには一応、100%天然とうたって
あるもの。(←信用はしていませんが)
糖類を取ると、優夢の場合は落ち着きが異常になく
なる
ことが経験上わかりました。
ですから市販の清涼飲料水は完全排除したいところです。
アイスクリームにも注意します。
かなりの量の砂糖が使用されているためです。
ソフトクリームを全部食べた日は、落ち着きがなく
興奮して夜も寝ません。
常にそうですから、何か関係があるのでしょう。
もしかすると、糖類ではなく、別の化学物質や添加物
よるものかもしれません。

━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━

温度、大きさも重要なポイントです。
同じものでも、切り方が違えば口にしません。
サイズが違ってもダメです。
熱いもの、温かいものも大げさに熱がって吐き出します。
けれども冷えきってしまったものもダメでした。
優夢にとっての「適温」と「適度なサイズ」はごくごく狭い
範囲に設定されているようです。

咀嚼ということをせずに、なんでも丸呑みしてしまう
ことも小さい頃からの特徴でした。
少し大きいものでも無理やり口に押し込んで(絶対に無理
だと思うほどの大きなものでも!)すべて丸呑みです!
↑ゆでたまご一個でも!窒息しそうになりました。
噛むことをしないため、噛まずに済むような柔らかい
食べ物を好みました。

料理はすべてキッチンバサミで一口大に切り分けます。
そうしないと、噛まずに無理やり飲み込んでしまいます。
もっとも、食事を自力でできるようになったのは、一年生
になってからですし、それまではすべて私が口に入れて
赤ちゃんのように食べさせていました。
今でも面倒になると、私に口に入れるように要求して
自分はふんぞり返っています。
学校では誰も世話をしてくれませんので、自力でなんと
か食べているようです。

カレーを汚いと皿ごと投げ捨て、シチューをわざと床に
こぼし、お味噌汁に浮いたネギを見ると怒っていた優夢
は、すべて「単品」でしか食事ができませんでした。
つまり、料理の必要がありません。
ミニトマトを洗って、豆腐をパックから出し、きゅうりを
正確に1センチ幅に切ればOKです。
煮物を作っても、それぞれの素材を別々の皿に取り分け
ました。にんじんはにんじん用のお皿、里芋は里芋のお皿
という具合に。一緒のお皿に盛り付ければ癇癪を起こして
決して食べようとはしません。

嫌いな食材が少しでも入ればすぐに気がつきかたくなに
拒否します。皿の中に手を入れて気に入らなければ投げ
つけました。どんぶり物も、混ぜご飯も、チャーハンも
すべて同じ理由から口にしません。
料理が趣味で気晴らしで精神安定の源だった私にとっては
あまりにも悲しい日々でした。

どんなに工夫しても、手をかけても、優夢のこだわりの
前では何の手立てもありません・・・
この子にはいったい何を食べさせたらいいのか、いつ
座って食事を楽しむことができるのか、自力でスプーン
やお箸を持つ日が来るのか、まったくわかりません。
私も優夢の目の前で食事をすることができず、台所で
隠れて立ったまま急いで済ませました。
見つかれば、構わずなんでも手づかみです。
たとえ熱いスープでも味噌汁でも。

それでも私は手を替え品を替え、思いつく限りの工夫を
してさまざまな料理を創作しました。

味と匂いに敏感な優夢に気づかれずに、苦手な食材を
どう混ぜ込むか、味を変えるか、慣れさせるか、と
毎日考えては作り、作っては見向きもされずに自分で
食べて。

しかも驚異的な多動児だった優夢は、生後7ヶ月で
つかまり立ちをした日から、3歳でセンターに通園
するようになるまで、一切、一秒たりとも目が覚めて
いる間に「座る」ということはありません
でした。
まるで、膝が曲がらなくなったかのように、「立つ」
ことにこだわり続けたのです。
もちろん、食事も立ったままです。
ただ、食事をさせるということだけでも、本当に手の
かかる子どもでした。







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